【一分雑学】江戸時代の出島ではなぜオランダだけ交易できた?
最近、江戸幕府は『鎖国していなかった』という説が出てきています。
そもそも『鎖国』という言葉が江戸時代当時には存在しておらず、出島以外にもいくつか(対馬藩が朝鮮と、薩摩藩が琉球で、松前藩がアイヌと)海外との交流があったことが理由です。
とはいえ、出島を利用できたのは当時オランダだけでしたから、いわゆる鎖国が行われていたとも言えます。
ところで、この出島での交易はなぜ相手がオランダだったのでしょう?
出島での交易相手がオランダだった理由
結論から言うと
オランダはキリスト教布教に熱心ではなかったから
です。
以下、少し説明を加えます。
まず、江戸幕府が貿易を出島に限定したのは、
大名たちの軍事力・国力を削減しようとしていたので、南蛮貿易で大名が儲かるのは避けたかった
からです。
そして、キリスト教の布教を禁止したのは、
ポルトガルやスペインが日本に対して軍事的野心を持っていた(日本を植民地化したかった)
からです。
また、同じキリスト教国でも
- ポルトガルやスペインはカトリック
- オランダはプロテスタント
という違いがありました。
当時、カトリックはプロテスタントの勢いに押されていたため、ヨーロッパ以外で信者を獲得しようとしていました。
その流れに乗って、ポルトガルやスペインは海外植民地の獲得とキリスト教の布教をもくろんでいたわけです。
オランダもキリスト教の布教を行っていましたが、あまり熱心ではなく、むしろ金儲けのために貿易を求めてきました。
徳川家康はそんな事情を知っていて、オランダだけと出島で交易するようにしたというわけです。