【一分雑学】坂本龍馬の死後、海援隊はどうなった?
有名かつ人気のある歴史上の人物といえば、坂本龍馬の名前が必ず挙がります。
最近、その業績が過大に評価されているのでは? と話題になりました。
日本の歴史に名を遺す坂本龍馬が創った海援隊ですが、竜馬の死後、どうなったかご存知でしょうか?
竜馬の死後の海援隊は・・・
結論から言うと、
京都組、長崎組ともに竜馬の死後一年以内の1868(明治元)年に解散
しました。
以下、箇条書きでその後を記しておきます。
海援隊京都組
竜馬にしたがって上京していた京都組は、天満屋で新選組と激闘を演じました。
その京都組の別グループの中心人物だった長岡謙吉は小豆島などを占領し、その後長岡は二代目海援隊隊長に任ぜられますが、1868(明治元)年五月頃には事実上の解散。
海援隊長崎組
竜馬の死後、土佐藩預かりとなり、遊撃隊として天草地方の治安維持に当たる。
その後、遊撃隊が長崎府振遠隊に改編されるにしたがい、海援隊隊士が次々と幹部に任命されたこともあり、四月に土佐藩の命により解散。