【一分雑学】天才剣士・沖田総司は生涯に何人斬り殺した?
色白の美少年にして、天才剣士。
そんなイメージの沖田総司ですが、そもそも写真がないのでわからないと言われたり、肖像画がそんなに美少年ではないなどの話もあったりしていますが、剣の腕が確かだったのは間違いないようです。
そんな沖田総司ですが、道場ではなく、実戦でどれくらいの人を斬ったのでしょう?
沖田総司が斬った人数
結論から言うと、表ざたになった話だけで換算して
どうやら6、7人だったのでは?
と推測されています。
以下、少し説明を加えます。
沖田総司の剣の腕前は・・・
沖田総司が天然理心流の道場『試衛館』に入門したのは9歳の頃でした。
10年後に免許皆伝を得ている上、沖田家累代の墓碑には北辰一刀流の免許皆伝も得ていたと言われています。
そんな沖田の剣を、天然理心流の同門で土方の縁戚にあたる児島鹿之助は
「この人剣術は、晩年必ず名人に至るべき人なり」
と述べ、同じ新撰組の永倉新八は
「おそらく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆言っていた」
と評すなど、腕前は群を抜いていたようです。
伝えられている話では沖田が斬り殺したのは・・・
そんな沖田ですが、ご存知の通り肺結核のせいで新選組から離脱し、鳥羽・伏見の戦い以降の、いわゆる戊辰戦争には参加していないので京都での活動がほとんどです。
伝えられている話では
- 大坂の北新地で力士たちと乱闘。ここで力士4、5人を斬り殺す
- 沖田が芹沢鴨の暗殺したと伝えられるが、とどめを刺したのは土方という説が有力
- 大坂西町奉行所与力、内山彦次郎の暗殺主犯と伝えられるが、そもそも新撰組の関与を疑う説が有力
- 池田屋事件では真っ先に踏み込んだが、(肺結核のため)喀血して倒れた(真偽不明)
- 脱走した山南敬助の介錯をしたとされている
- 新撰組隊士の酒井兵庫、浅野薫を切り殺したと伝えられる
これらを総合すると多くても7人くらいというのが本当のところのようです。
勿論、これは伝えられている話だけですので、表沙汰になっていない事件などはいくつもあったとは思います。
あくまで、参考程度にお考え下さい。