【一分雑学】ペリーと徳川幕府はどの言語で交渉した?
『黒船来航』という言葉を聞くと、日本人の多くは『ペリー』と即答できるのではないでしょうか?
それほど歴史上のインパクトがあり、有名なペリーさんですが、黒船を4隻率いて浦賀沖に現れたとき、幕府側とどんな言語で交渉したかご存知ですか?
ペリーと幕府が交渉した言語
結論から言うと、
オランダ語
でした。
以下、少し詳しく紹介します。
ファーストコンタクトはこんな感じ
アメリカの東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリーが浦賀に現れたのは、1853(嘉永6)年6月3日のことでした。
驚いた浦賀奉行所与力の中島三郎助は、その夕方、通訳の堀達之助を連れて船に乗り、黒船に近づきました。
旗艦サスクエハナに近づき、達之助は英語で呼びかけました。
「私はオランダ語を話すことができる」
実は、彼が話せた英語はこれだけでした。
実際の交渉は・・・
さすがにアメリカ側は用意周到、日本の事情を知っていて、オランダ語の他に中国語の通訳まで用意していました。
そして、オランダ語の通訳であるアルセ・ポートコンと堀達之助が話をしてペリー来日の意図を知ったそうです。
ちなみに、達之助がした最初の質問は
「貴艦は何国の船で、なんのわけがあってやってきたのか?」
だったそうです。