【一分雑学】ペリーと徳川幕府はどの言語で交渉した?

2024年6月18日

『黒船来航』という言葉を聞くと、日本人の多くは『ペリー』と即答できるのではないでしょうか?

それほど歴史上のインパクトがあり、有名なペリーさんですが、黒船を4隻率いて浦賀沖に現れたとき、幕府側とどんな言語で交渉したかご存知ですか?

ペリーと幕府が交渉した言語

結論から言うと、

オランダ語

でした。

以下、少し詳しく紹介します。

ファーストコンタクトはこんな感じ

アメリカの東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリーが浦賀に現れたのは、1853(嘉永6)年6月3日のことでした。

驚いた浦賀奉行所与力の中島三郎助は、その夕方、通訳の堀達之助を連れて船に乗り、黒船に近づきました。

旗艦サスクエハナに近づき、達之助は英語で呼びかけました。

「私はオランダ語を話すことができる」

実は、彼が話せた英語はこれだけでした。

実際の交渉は・・・

さすがにアメリカ側は用意周到、日本の事情を知っていて、オランダ語の他に中国語の通訳まで用意していました。

そして、オランダ語の通訳であるアルセ・ポートコン堀達之助が話をしてペリー来日の意図を知ったそうです。

 

ちなみに、達之助がした最初の質問は

「貴艦は何国の船で、なんのわけがあってやってきたのか?」

だったそうです。

 

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