コーヒーの歴史を振り返る(3) 日本でのコーヒーの普及
2016/01/18
今でこそ日本人の生活に根付いたコーヒーですが、初めて日本に紹介されてから一般的に広まるには少し時間がかかったようです。
日本におけるコーヒーの歴史を振り返ってみましょう。
江戸時代
江戸時代5代将軍徳川綱吉公の頃、西洋ではすでにコーヒー文化が開花しはじめ、多くの人に楽しまれていました。
日本では鎖国をしていたため、西洋諸国の最先端の飲み物など知る由もありませんでした。
鎖国中といえど、日本で唯一外国との交流があった長崎県出島にあるオランダ商館には西洋諸国の品々が送られていたため、この商館を訪れる商人、役人、遊女、通訳など限られた日本人だけに振舞われたといわれます。
しかし、なかなか味と香りに馴染むことができなかったこと、日本では手に入る品ではなかったことなどもあり、出島以外の人間に普及したのは明治に入ってからのことでした。
明治時代
文明開化してからは西洋文化の象徴であるコーヒーを受け入れる人も増えていきました。
これは積極的に西洋の文化を取り入れ、諸外国に早く追いつこうという思いや、
長崎、神戸、横浜など外国人の居留地が作られ、商館で接待を受けたり、外国に留学し西洋人と食事をする機会も増えコーヒーを口にする機会が増えたことが理由のようです。
しかし、口にする機会が増えたといってもそれは上流階級の人間に限ったことだけで、高級な飲み物という括りから抜け出すことはありませんでした。
国内で最初にできた本格的なコーヒー店は、日本人の鄭永慶が東京上野、西黒門町に開いた『可否茶館』という店でした。
1888(明治21)年のことです。
鄭永慶は長崎の唐通詞の家に生まれ、アメリカのエール大学で学んだこともある当時のエリートでした。
官職を辞した鄭永慶は、「コーヒーを飲みながら知識を吸収し、文化交流をする場」として『可否茶館』を開くも、経営不振に陥り、約3年で閉店を余儀なくされました。
その後、ようやく明治時代も末頃になり喫茶店がいくつかできるようになると、そこにハイカラ好きな文化人や芸術家などが集まったことでコーヒー文化が根付いたといわれています。
大正時代
大正時代に入ると、文化人や芸術家の集まっていた喫茶店は社交場としての役割を担うようにもなりました。
こういった社交場としての役割を果たすカフェが次第に出店するようになりましたが、一般市民にとっては依然としてなかなか手が届かないものでした。
しかし、カフェパウリスタといわれる、それまでのカフェの3分の1の値段で飲み物や食べ物を提供する店ができたことにより、多くの人に親しまれるようになりました。
昭和時代
すでに国内で飲まれはじめて100年以上の歴史がありながら、普及するまでが長かったコーヒーですが、手軽に飲めるようになってからは愛飲家も多くなり、昭和に入ってからはますます需要を伸ばしていきました。
しかし、第二次世界大戦中、敵国の飲み物であると考えられ一次輸入は止まってしまいました。
戦後には再び輸入が開始され、現在に至っています。
ヨーロッパやアメリカなどに比べると日本人に飲まれるようになってからまだ歴史は浅いものの、最近ではパン食の人も多いため、多くの人に欠かせない飲み物として愛されています。
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