コーヒーの歴史を振り返る(2) イスラム世界からヨーロッパ、そして世界へ
2016/01/18
イスラム世界で不動の人気を得たコーヒー
14世紀中ば、世界最古のコーヒー店、「カーネス」がコンスタンチノープルに作られる頃には、コーヒーの人気は広まりつつありました。
特に、戒律のせいでアルコールを飲めないイスラム教徒からの支持は篤く、お祈りの前にコーヒーを飲む習慣が広まっていました。
その高い人気に賛否両論が起こり、メッカの地方長官だったカイル・ベイが『コーヒー禁止令』を出しました。
しかし、当時エジプトの国王だったサルタンがコーヒー好きだったため、その禁止令を撤回するという事態に至ります。
その後もコーヒー弾圧が何度か繰り返されるのですが、そんなことを引き起こすくらいコーヒーには魅力があったということですね。
ヨーロッパに伝わったコーヒーがローマ法王に公認される
初めてヨーロッパに紹介されたのは1583年、ドイツ人医師で植物学者でもあるレオンハルト・ラウウォルフがエジプトを旅行した際に知り、印刷物で紹介したときでした。
その17年後の1600年頃、キリスト教徒がコーヒーを飲むことをローマ法王が公認します。
それまでは異教徒であるイスラム教徒たちが熱狂的に飲んでいるコーヒーを、キリスト教徒が飲むということに大変な心理的抵抗があったようです。
『キリスト教徒にとって聖なる飲み物であるワインを飲めないイスラム教徒は、悪魔からコーヒーを与えられるという罰を受けているのだ』と考えられ、コーヒーは『悪魔の飲み物』だと信じている人もいたそうです。
しかし、法王が公認したことによって何の問題もなく飲めるようになり、コーヒー人気は急速に拡がっていきました。
コーヒーがヨーロッパでも広まる
ヨーロッパに初めてコーヒーが伝わったのは1615年、ベネチアだったと言われています。
当時、地中海貿易を主導していたベネチアの商人を介して、それ以降ヨーロッパ各地に広がっていきます。
1640年にはオランダの商人であるヴルフバインが商業目的でアムステルダムへと持ち込み、販売し始めます。
その5年後の1645年にはベネチアでヨーロッパ初のコーヒーハウスが開業し、イタリアで一般的に飲まれるようになりました。
続いて1650年にイギリスでもオックスフォードでコーヒーハウスが開業し、1652年にはロンドンにも開業します。
更に1670年にドイツに、1672年にはフランスのパリにアルメニア人がカフェを開業し、パリでも飲用されるようになりました。
1683年にはトルコ軍が残していったコーヒー豆を使ってウイーンにも初めての専門店が開業されます。
ナポレオンも愛したコーヒー
ヨーロッパで特に有名なのは1686年に開業したカフェ・プロコールでしょう。
このカフェはパリのコメディ・フランセーズに開店したもので、後に多くの有名人がこのお店を訪れました。
現在もこのお店は存在しており、パリで最古のカフェとして有名です。
このお店の入り口には帽子が一つ飾ってありますが、この帽子はあの有名なナポレオンがカフェの代金を支払えなかったために代金の代わりとして置いていったものだといわれています。
現在は2階に、当時このお店に集っていた文化人達の肖像や実際に使っていた机などが展示されています。
ヨーロッパ各地で女性によるコーヒーハウス反対運動が起こる
この当時のコーヒーハウスは女性の利用が禁止されており、男性だけが利用することができました。
そのため、1674年にはロンドンの主婦達によって反対運動が起こりました。
男性たちの中にはコーヒーハウスに入り浸って家に帰って来ない人もいたというから驚きですね。
その後もロンドンでは社交・商取引の場としてコーヒーハウスが利用されていましたが、18世紀半ばからは徐々にクラブやティーハウスに取って代わられ、イギリスの家庭には紅茶が定着するようになります。
また、コーヒーハウスはドイツでも同じく女人禁制だったため、反対運動が起きています。
この騒動は面白おかしく舞台の脚本にまで使われており、今でも知られています。
そして世界に広まるコーヒー
世界にコーヒーを世界に広めることになったのは、オランダの商人たちが自らの栽培した豆を売って利益を得ようと考えたことが大きかったようです。
インドネシアのスラウェシ島、現在はスリランカとなっているセイロン島にコーヒーの苗木を持ち込んで栽培を試みたり、ジャワ島やバダヴィアでも栽培が勧められるようになりました。
また、フランスやイギリスの植民地でも栽培が進められていきます。
アメリカでコーヒーに関する記述が最初にされたのは1668年のことです。
その少し前からイギリスによってコーヒーが持ち込まれたと考えられています。
皮肉なことにそのイギリスから独立するきっかけとなったボストン茶会事件が、アメリカ国民の紅茶への関心を薄れさせ、コーヒーへと向かわせることになったようです。
その後の米英戦争で紅茶の供給が少なくなったことがそれに拍車をかけ、独立後にハイチやマルティニーク島、ブラジルからコーヒーが大量に輸入されることになったことでコーヒー文化が醸成される決定打となりました。
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