【一分雑学】東京の片田舎から新撰組が生まれた理由

現在の八王子方面の方に怒られそうですが、幕末の三多摩地方は片田舎と言っていい場所でした。

そんな場所からなぜ新撰組の中心メンバーが? と思う方もいるかもしれませんが、そこにいた人たちには、住み着く理由がありました。

三多摩から新撰組が生まれた理由

結論から言うと、

新撰組の中心メンバー、近藤勇局長と土方歳三副長は八王子千人同心の流れを汲んでいたから

です。

以下、少し説明します。

 

武士としての誇りを持っていた八王子千人同心

戦国時代末期、徳川家康が甲州口の警備を任せるため、滅亡した戦国大名、武田家の遺臣約250人に農地を与え、そこに住まわせました。

それが関ケ原の戦いの頃には約1,000人ほどに膨れ上がったそうです。

家康は、武士であり、農民でもある彼らを『八王子千人同心』と呼びました。

彼らは日ごろ、鍬を握っていても武士としての誇りを失わず、剣術の稽古や学問に精を出していたそうです。

特に、剣術は豪農の敷地内に道場が置かれるなどして鍛錬に励んでいたといいます。

 

そして時は流れて幕末

そんな彼らの子孫が、ペリー来航以来の日本の状況に関心を持っていないわけがなく、その知力と胆力、武力を生かしたいとチャンスを窺っていたというのも頷ける話です。

そして京都で、幕府側として奮戦したのも自然の成り行きだったことでしょう。

 

ちなみに、新撰組局長として有名な近藤勇は上石原村(現在の調布市)、副長の土方歳三は石田村(日野市)の出身です。

 

他の歴史の雑学