【一分雑学】新撰組の生き残りたちはその後どうなった?
新撰組の主要人物、局長の近藤勇は捕縛された末に板橋で処刑、副長の土方歳三は函館五稜郭で戦死したという話は有名です。
また、総長だった山南敬助は脱走の末に切腹、沖田総司は病死とされていますが、他の有名な隊士の中には明治維新以降に生き残った者もいます。
明治維新以降に生き残った新撰組の有名隊士
結論から言うと、
長倉新八・・・77歳で天寿を全う
斎藤一・・・73歳まで生きた
原田左之助・・・上野戦争で戦死したとされるが、中国へ渡ったという珍説あり
とされています。
以下、少し説明します。
長倉新八
- 鳥羽伏見の戦い、甲州勝沼の戦いの後、近藤勇と意見衝突して訣別
- 北関東転戦の後、江戸へ帰還。
- 以前、脱藩した松前藩に帰参を許され、杉村家の婿養子に入り、『杉村義衛』と名乗る
- 北海道へ渡り、剣術師範に。一度江戸へ戻るも、再度北海道で剣道を指導
- 大正4(1915)年1月5日、小樽で死去(虫歯が原因で骨膜炎と敗血症を併発)
斎藤一
- 戊辰戦争中、屈指の激戦地会津で戦う
- 会津藩の降伏後に、投降
- 会津藩復興に伴い、下北半島の斗南へ。
- その後、二度の結婚。江戸へ移住し、警視庁に採用される
- 藤田五郎と名乗る
- 退職後は東京教育博物館の看守。撃剣師範。
- 大正4(1915)年、胃潰瘍のため東京で死去
原田左之助
- 永倉と共に近藤勇と訣別
- 会津へ向かう途中で離脱し、江戸へ帰還
- 上野戦争の傷が元で慶応4(1868)年5月17日に死亡
- 中国にわたって馬賊の頭目になったという伝説あり
- 日清・日露戦争の際は日本を後方から支援したという